「面倒くさい」という感情について
ベーシック秋山さんのブログにあった彼の知り合いの状況が、今の自分と酷似しているので、つらつらと書いてみる。
特に当てはまったのはここ。
まとめると、自分の価値と新しいことが生み出す価値を理解していないと思う。
例えば、興味→手段発見→行為の関係を正しく理解しておらず、面倒、手間というレベルで行動を抑制しているため経験量も乏しく、いざというときに思考がシュリンクしてしまっている。
これでは、負のスパイラルに陥るのは仕方ないと思う。
その元凶が従来のやり方を続けていることだということに、気づきべきだ。
自分のことを言われているみたいで耳が痛かった。そうなんだよ。
自分は恵まれているほうで、一社目でも二社目でも周りからアドバイスをよく貰える(中には注意、怒られも含むが)。だけどそれを実行に移せたことは一度もない。「面倒臭い」という感情がアドバイスを実行に移すメリットを上回るからだ。クズなのはわかっているけど、そうなのだ。
新しい知識を学び、それをアウトプットすることで、何かに成功した経験が乏しい、というのはそのとおり。面倒という感情、ストッパーを外す、というのはここ数年の自分の一番の課題でもある。今の現状を打破できないのは、つまるところ自分のやり方に固執しているから。自分の非を認めて、前に踏み出す勇気がないから。
じゃあそのストッパーをどう外すのか。ちょっとの工夫で変えられるものなのか。否、こればっかりは自分が「勇気」を出すしかないんだ。そうは分かっているけども。
これができないのは、過去の成功体験にとらわれているからなんだろう。過去になんとかなってしまっていた経験があって、でも今の自分には自信がないから、それにしがみついて。今の自分の状況と向き合えなくて。
過去の成功と書いたども、全然成功でもなんでもない。ただ、続けていたら、その分に比例した結果が出ただけのこと。自分で明確に結果をイメージして、そのために努力や工夫を伴って出した結果でもない。ただ、その環境にそれだけいればその程度はできるようにはなるよね、ってだけ。
でもさ、もう終わりにしようよ。辛いだろう、そんな成功体験とも言えない過去にすがって行きていくのは。もう自分の人生を生きてもいいんじゃないのか。
夏の終わりの日曜日の夜、こんなことを考えている。