寝坊録

寝坊常習犯の日記

「面倒くさい」という感情について

ベーシック秋山さんのブログにあった彼の知り合いの状況が、今の自分と酷似しているので、つらつらと書いてみる。

 

forward.basicinc.jp

 

特に当てはまったのはここ。

 

まとめると、自分の価値と新しいことが生み出す価値を理解していないと思う。
例えば、興味→手段発見→行為の関係を正しく理解しておらず、面倒、手間というレベルで行動を抑制しているため経験量も乏しく、いざというときに思考がシュリンクしてしまっている。
これでは、負のスパイラルに陥るのは仕方ないと思う。
その元凶が従来のやり方を続けていることだということに、気づきべきだ。

 

自分のことを言われているみたいで耳が痛かった。そうなんだよ。

 

自分は恵まれているほうで、一社目でも二社目でも周りからアドバイスをよく貰える(中には注意、怒られも含むが)。だけどそれを実行に移せたことは一度もない。「面倒臭い」という感情がアドバイスを実行に移すメリットを上回るからだ。クズなのはわかっているけど、そうなのだ。

 

新しい知識を学び、それをアウトプットすることで、何かに成功した経験が乏しい、というのはそのとおり。面倒という感情、ストッパーを外す、というのはここ数年の自分の一番の課題でもある。今の現状を打破できないのは、つまるところ自分のやり方に固執しているから。自分の非を認めて、前に踏み出す勇気がないから。

 

じゃあそのストッパーをどう外すのか。ちょっとの工夫で変えられるものなのか。否、こればっかりは自分が「勇気」を出すしかないんだ。そうは分かっているけども。

 

これができないのは、過去の成功体験にとらわれているからなんだろう。過去になんとかなってしまっていた経験があって、でも今の自分には自信がないから、それにしがみついて。今の自分の状況と向き合えなくて。

 

過去の成功と書いたども、全然成功でもなんでもない。ただ、続けていたら、その分に比例した結果が出ただけのこと。自分で明確に結果をイメージして、そのために努力や工夫を伴って出した結果でもない。ただ、その環境にそれだけいればその程度はできるようにはなるよね、ってだけ。

 

でもさ、もう終わりにしようよ。辛いだろう、そんな成功体験とも言えない過去にすがって行きていくのは。もう自分の人生を生きてもいいんじゃないのか。

 

夏の終わりの日曜日の夜、こんなことを考えている。

寝坊録

最近よく寝坊する。

 

学生時代の寝坊とは訳が違う。社会人2年目が寝坊を繰り返してる。今日はビール一杯レモンサワー二杯を飲んだ翌日に寝坊した。寝坊した後のリカバリーも世間的には悪いものだった。あろうことか風呂に入り、松屋で牛丼を買ってから会社に向かった結果、11時40分に上司に遅刻連絡をしてから2時間後の13時半に出社というガンジーも怒り出すレベルの社長出勤をかましてしまったのだ。遅刻連絡をした11時40分というのも、10時25分に先輩の鬼電で起床してから実に1時間15分もの間上司に連絡するのを躊躇していた賜物。流石の図太さと言えよう。

しかも酒を飲んで遅刻をかましているのは先週金曜日にもやっている。つまり前科持ち。正確に言えばいろんな理由をつけて遅刻を繰り返しているので、前科何犯かはもはや忘れた。

 

遅刻の悪さとは何か。それはひとえにやるべきことをやらない悪さに帰結する。決められたことをできない弱さに帰結する。社会人とは言われたことをきちんとできるという前提があってこその自由を手にできる。どんなに会社に貢献しようが決められたことができねば社会人としては認められない。時間も守れない奴は信用されないのだ。

 

次に遅刻をかました日には、俺は寿司を特定の面子に奢るという業を背負ってしまった。ご丁寧に証拠の動画も撮影されて。

 

俺は他人の遅刻を許すから、俺の遅刻を許してほしいという甘っちょろい論理は通用しない。そんなものは吹けば飛ぶような論理。この会社では。この社会では。

 

自分が正しいとは到底思わない。遅刻が悪くないとは言わない。ただ、自分を肯定してくれる何かを必要としているのは確か。それが仕事か趣味か恋人かは分からない。

 

ただ、寝坊してもまたやっちゃったねって笑ってくれる人が

のんだ

先輩と後輩と飲んだ。

 

先輩はフロアの端の部署から反対側の部署へ移動するらしい。両方とも忙しい部署。本人は入社2年目の中途で折り返しのつもりで異動願いを出したらしい。

 

後輩は仕事は楽しいという。本当にそう思ってるのか、先輩の手前そう言っていたのかはわからない。なんならこの飲み会で初めてまともに話したくらいだったから。なぜその場に俺が呼ばれたのかも謎。だけど楽しかった。

 

仕事は相変わらず作業だし、部署は相変わらず殺伐としているけど、社内の人間関係がちょっとずつ広がってきたおかげて前よりはましになった。でも、仕事のコレジャナイ感は日に日に溜まりつつあって。次に自分が目指そうとしている道が正しいのかどうか検証するためにこのブログを毎日書くことにした。

 

ねよ。

ダチョウ倶楽部の話

こんな記事を見つけた。

 

http://president.jp/articles/-/22535

 

シリアスな戦争映画なのに、なんでダチョウ倶楽部みたいな一見なんの接点もないタレントを起用してPRイベントをやるのか。という話なんですが、あまりにもPR会社目線で書かれていて書いた人は絶対に元PR会社だろうと思う。

 

実際にPR会社にいると商品・サービスとキャスティングが噛み合ってないイベントが日常茶飯事です。PR会社は基本的にアンコントローラブルな露出の質ではなく数をKPIに設定しているので、何媒体以上集められたから今回は成功したね、みたいな報告の仕方になります。今の日本のPR会社に求められてるのはパブリシティだけだということがよく分かる。

 

これは数あるPR会社にいる際の本質の極められなさの一例だと思うけど、タレントって餌をマスメディアにぶちまけてPRイベントやって、それで露出取れたから何が広められるんだろう。実際はそのタレントのもう既にある知名度アップにしか貢献しない。なんの意味があるの?

 

あー眠い。

今年の目標。

自分の中の「めんどくさい」から何かをしないという価値基準をぶっこわしたい。思えば先延ばし先延ばしにしてきたからこそ留年したし、ずっと逃げてきた。今年はそれをぶっ壊す年にしよう。そしたら無敵になる気がする。

24年生きた。

子供の頃24歳と言えば立派な大人で、結婚してるし真面目に仕事してると思ってたけど、とんでもなかった。生きるのに精一杯で何やってもうまくいかなくて落ち込んで泣いて、子供よりよっぽど子供らしい大人が出来上がってた。

 

自己否定のトンネルから抜け出せないせいで仕事もクソみたいにできないし、殻に閉じこもってたら何もできない。それなのに変わるのが怖くてそこから抜け出せない。何をどんな風にしたらこの24年蓄積した性格は変わるのか答えは見えないまま。そのくせ変なプライドはあって怒られては凹むしムカつく。吹けば飛ぶようなプライドなんか飛ばしたい。ぶっ飛ばしたい。何かに我を忘れて一心不乱に打ち込みたい。夢中になりたい。かっこ悪くてもいい。

 

そんな24歳になりました。